代数曲線・代数曲面入門 --- 複素代数幾何の源流

日本人初のフィールズ賞受賞者小平邦彦先生をはじめ 多くの日本人数学者が貢献した複素代数幾何学への入門書. 将来研究を続けようとする学生にも十分な知識が習得できることをめざして執筆. 簡易層によるコホモロジー論の再構成と、複素代数鏡面の分類理論を解説しました.

代数幾何学の日本語の教科書は,すでにかなりたくさん出版されていて, 本格的な専門書から,啓蒙的な入門書までバラエティーに富んでいる. しかし, 4年生のセミナーで利用するのに適切なものとなると, あるものは難しすぎ,あるものは解説されている内容が乏しく, 必ずしも意に叶うものがなかった. 本書は,最小限の基礎知識で,代数曲線論と代数曲面論の初歩が学習でき, かつ,大学院に進学して研究を続けようとする学生にとっても 十分な知識が習得できるような教科書を目指して執筆した. そのために,今までの教科書にないアイデアをいろいろ工夫して, 簡潔かつ平易ではあるが,最終的到達目標は極力落とさないように, 全体的な系統を構成し直してみた.

本書では,複素代数曲線と複素代数曲面を理解することを目標にして, 複素代数多様体論を展開する.最近の代数幾何学は抽象化が極度に進んでいて, 初学者には最初のハードルが高い.特に,代数幾何の最初の段階で,スキーム, 位相空間上の層,単射的分解を利用した層係数コホモロジーを学習するのは困難で, 代数多様体の定義にたどりつく前に挫折してしまう学生が少なくない. そこで,本書では,あえて,小平邦彦氏の時代の少し古典的な理論体系に戻って, スキームを使わないで代数多様体論を展開し, 単射的分解のかわりにチェック・コホモロジーで層係数コホモロジー論を展開した. また,向井茂氏のアイデアを借用して,層の範囲を限定した簡易層というものを使い, 導入段階での諸定理の証明を簡略化・平易化した.

第1-3章は代数曲線論に特化して,難しい一般論はすべて後の章に回した. 第1章では,代数曲線がどういうものなのか, できるだけ平易な例を中心にして解説した. 仮定する基礎知識としては,多変数の微積分, 位相空間の初歩的知識,群・環・体・加群のごく入門的知識にとどめた. そして,第2章で代数多様体の一般論の最小限の知識を解説した後, 第3章で,代数曲線論を展開する.この部分は,真面目な学生が読めば, 必ず理解できるように記述するように努めた. 層とコホモロジーの理論も曲線論用に大幅に平易化して説明した. つまり,層の一般論は難解なので, そのかわりに簡易層とチェック・コホモロジーを用い, コホモロジーの計算から抽象性を排除し, できるだけ具体的に計算できるものにした. しかし,代数曲線論のかなり詳細な話題まで解説したつもりである.

なお,第2-3章の中で,「*」印のついた証明は, 少し難しいので,可換環論に慣れていない人は証明を飛ばして, とりあえず,第3章の終わりまで読み進めてもらうとよい.

第4-5章では,すこしレベルアップして,曲面論を学習するのに必要な, 層・コホモロジー・因子の理論を補充したあと, 代数曲面論の代数的部分を解説する. 解説されている内容自体がそれほど簡単な話題ではないので, 前の章よりは難しくなっているが,既存の教科書よりは, できるだけ平易に説明をしたつもりである.

第5章までは,あまり基礎知識を仮定しなかったが, 第6章からは,代数学や多様体論について, ある程度の基礎的な知識があることを仮定している. 第6章では,複素代数曲面を研究するのに必要な, 位相的方法と解析的方法を要約して説明した. この部分は,位相幾何学・微分位相幾何学・ 複素多様体論などからのいろいろな知識の紹介なので,証明はほとんど割愛した.

第7章は,かなり本格的な代数曲面論である. 有理曲面,線織面,K3曲面,エンリッケス曲面, 楕円曲面,一般型曲面などについて,一通りの基礎知識を概説した. 難解な証明も割愛せずに紹介したので,この章だけは易しくない.

本書は,代数曲線論と代数曲面論の概要を速習することを目指したので, いろいろな定理を網羅的に紹介するのはあきらめ, 代数曲線論と代数曲面論を展開するのに最小限の知識だけを説明した. もし,読者が代数幾何の本格的な研究を始めたいなら, 本書で割愛した知識を補充するために,本書を読破した後に, [Ha], [G-H]等の,詳細な文献に目を通すことをお薦めする.

最後に,変な忠告であるが,代数幾何学は結構難しく, 正しい証明をしたつもりでも,致命的な欠陥が潜んでいることがしばしばある. 専門論文にとどまらず,代数幾何の教科書においてすら, 誤植などの初歩的誤りにとどまらず, 定理の主張や証明が根本的に間違っているというような深刻な誤りが散見される. しかも,時には,その証明は正しく見え, それが間違いであることを発見するのが,非常に困難なことがある. 代数幾何を勉強しようとされる方は, 活字で書かれていることを頭から鵜呑みにするのではなく, つねに自分の頭で書かれている内容を精査するように心がけてほしい. また,そういう間違いに目くじらを立てるのではなく, 広い心を持って,陥り易い間違いがどこにあるのか知る勉強だと思って, 読んでほしい.もし,将来,代数幾何の専門論文を読む場合にも, 誤りを含む論文が決して少なくないので,内容を吟味せずに引用することは禁物である. ただし,間違っている論文でも, 有用なアイデアがいろいろ含まれていることが多く,それはそれで有用である.

2006年11月

著者