数学の杜4 対称群の表現とヤング図形集団の解析学
──漸近的表現論への序説

洞 彰人 著/関口次郎・西山 享・山下 博 編
A5判・上製・448頁・定価7000円+税

表現論と確率論とが重なりあい混じり合う漸近的表現論の魅力を綴った. 主に対称群の表現を題材にし, 確率論の技法を用いて解説する.

まえがき

 数学の杜に漸近的表現論と呼ばれるようになった小景がある.
分野で言えば,表現論と確率論とが重なりあい混じりあうところである.
ここに多少は通い慣れた筆者が筆者なりに感得したこの地の魅力を綴ってみたものが本書である.
具体的には,主に対称群の表現を題材にし,確率論の技法を用いて近寄ったり離れたりし ながら,いろいろなショットを届けようと思う.

 事物の対称性を論じる際,文字の置換というのは最も素朴な操作であろう.
対称群の表現論とは,そのような置換の根本的な規則を分類し,置換に関する保型性や不変性を通して物事の対称性の本質に迫ろうという学問である.
群の概念が確立するはるか以前まで含めるとその歴史は長く,現代に至るまで数多くの美しい精緻な結果が得られている.
本書でとり扱おうとする漸近的表現論では,置換される文字の個数が膨大な場合を考え,群のサイズが巨大になった状況を想定して,表現の中にどのような統計的な法則や漸近的な構造美が浮かび上がるかを問題にする.

ある面では,せっかく組み上がった精緻な構造をわざと崩したりぼかしたりして大づかみに捉えるという作業でもあるが,そのような違和感もまた新鮮味のひとつと言えよう.
いずれにせよ,群とその双対をセットにして扱ういわゆる調和解析の考え方が基盤になる.
一方では,有限のあるいは離散的な対象の精密な考察を必要とするため,組合せ論の色彩も強い.
そして一貫して確率論の問題意識が底流にある.

 Young図形は図1のように箱(セル)を積んで表示される.
箱数nのYoung図形がn次対称群Snの既約表現とどう関係するかは本文をみていただくことにし,ここでは,何らかの意味でランダムに箱を積んでいくことによって対称群の表現の何らかの漸近的な性質を観察し得るとしよう.
Young図形はどんどん大きくなる訳であるが,今,箱数nのものを縦横1/√n倍すると,面積が一定に保たれ,n→∞につれてたとえば図1のような変化の様子が見られる.
このとき,最右図に太線で描かれている境界のような部分(プロファイル)が,表現のある漸近的な性質を表すものとみなせる.
今度は,同じく何らかの意味でランダムに箱を積んでいくのであるが,箱数nのYoung図形の行や列の長さが漸近的にnのオーダーになるような状況にしてみる.
そうすると,図1のような描像ではなく,強いて言えば非常に薄っぺらい図形になっていって,極限は全体的な形状としてはつかまらない.
しかしこの場合も実は,行や列の長さのnに対する比率が表現の漸近的な性質
図1 Young図形の成長と「極限」

を浮かび上がらせる.
どちらの漸近挙動を扱う場合でも,本書のほとんどの文脈では,箱を積む際のランダムネスは表現の分岐則に由来している.

 ストーリー展開をある程度明確にするため,本書では,対称群の表現における上記2種類の漸近挙動からそれぞれとった次の2つの問題を最後まで解ききるとい う目的意識を保つようにした:

 問題1 Young図形のPlancherel集団における極限形状の出現を確率論の大数の強法則として定式化し,証明を与えること,

 問題2 無限対称群の指標およびYoungグラフ上の極小調和関数の分類を与え,Youngグラフ上の一般の調和関数に対する超対称なSchur関数を核にもつMartin積分表示を証明すること.


ただし,目的地に突き進むのではなく,寄り道をしながら関連するいろいろな風景を紹介していく.
寄り道の途中ゆえ,概念や定理の提示は特殊な場合に限定して述べることになりがちで,導入の仕方が系統的でないことが多い.

 本書を著すにあたり,予備知識の足りなさのために学部上級生や大学院生に敬遠されることは避けたいと思った.
あらかじめ必要なのは,微積分と線型代数の他,複素関数,測度と積分,距離と位相,そして群に関する基礎的事項である.
専門分野 の方向性がまだ固まっていない方々のことを考慮し,多少専門的と思えることはなるべく説明を加えたり,かなり遡って証明をつけたりした.
既知の場合はどんどん飛ばされるとよい.
そうは言っても,数学科の基礎課程で教育されるような数学的思考法へのなれは期待したい.

 対称群の表現を扱うのに,上に挙げた測度と積分が要るのを意外に感じられるかもしれない.
しかしながら,有限と無限を行き来しつつ漸近理論を展開する本書の立場では,影の主役は測度であると言ってよい.
極限描像をどのような枠組の中で捉えるかを思案すると,測度というのは極限操作に関してほどよく柔軟でかつ直観的なイメージも持ちやすい概念である面があり,われわれにとって好都合である.
また,Youngグラフの経路空間上の測度を意識することが,本書における確率論的方法の要でもある.

 本書の構成は以下のとおりである.
1章で有限群の表現の一般論をFourier解析の視点からざっと見渡す.
2章で,Okounkov-Vershikの方法にしたがって対称群の既約表現のYoung図形を用いた分類と分岐則の紹介を行う.
はじめから前面に現れるYoung基底が自然に経路空間上の測度につながっていくところが以後の流れに適合するので,この導入法を採った.
3章は,Schur-Weyl双対性と対称群の指標に対するFrobeniusの公式の証明にあてられる.
本書に述べたような仕方でなくても,何らかの標準的な方法で対称群の既約表現のYoung図形によるラベルづけを学んだことがあり,Frobeniusの指標公式を知っている人は,3章までを読み飛ばして大丈夫であろう.
4章では確率論の準備的な事項について述べる.
特に,詳しい説明を収録した本が案外少ないと思われるキュムラントの組合せ論的性質やグラフ上のMarkov連鎖に関連するMartin境界についても,説明を加えた.
ここも既知の場合は飛ばされるとよい.
この1章から4章までが第吃瑤任△襦

 5章から7章までの第局瑤蓮ぞ綉の問題1を主題に据える.
5章で,以後主要な役割を果たすYoungグラフ上の調和関数や経路空間上の測度を導入する.
それに先立ち,5.1節でウォーミングアップを兼ねてPascal三角形上で幾つかの話題を予習しておく.
6章の主題は,Kerov-Olshanskiによって導入されたYoung図形のいろいろな座標に関する多項式関数のなす代数の構造を調べることである.
本書で採った漸近的な方法の支柱を与える技術的に重要な章である.
問題1の解答は7章で与えられる.

 8章以降の第敬瑤任蓮ぞ綉の問題2を念頭に置く.
8章は無限対称群の表現に関する基本事項の説明にあてられる.
9章で問題2の解答を与える.
Youngグラフ上の調和関数,経路空間上の測度の両面から考察を進める.
10章は2,3の発展的な話題の紹介を含む.
本文中では証明を飛ばした結果についてかなりの程度まで自己充足的な説明を補うため,付録の章を設ける.

 対称群の漸近的表現論に関わる内容をもった名著として,筆者は次の2冊を読者にも薦めたいと思う:

 ●P. Diaconis, Group Representations in Probability and Statistics.
 ●S. V. Kerov, Asymptotic Representation Theory of the Symmetric Group
   and Its Applications in Analysis.
(出版データは参考文献の頁の[9],[35]を参照).
実際のところ,これらの本への道案内の役割を果たせるようにというのも,本書を著す最初の動機にあった.
あえて対比して言えば,Diaconisの本では群の上の酔歩が主役であり,Kerovの本は群の双対の上の酔歩を基調としている.
しかし,筆を進め始めてほどなく,両方を目指すのは無理だと思って断念した.
結果,Diaconis丘は遠巻きに眺めるだけにし,Kerov林の方には実際に分け入ってみることにした.

 (以下略有)

 2016年冬 札幌にて                        洞 彰人


目次

第吃

第1章 有限群の表現の一般論
  1.1 有限群の表現
  1.2 群環の構造
  1.3 Gelfand-Zetlin基底

第2章 対称群の既約表現とYoung図形
  2.1 対称群Sn
  2.2 中心化環とJucys-Murphy元
  2.3 Jucys-Murphy元の固有値
  2.4 Young盤,Young図形

第3章 Schur-Weyl双対性とFrobeniusの指標公式
  3.1 コンパクト群の表現
  3.2 ユニタリ群U(n)の既約指標
  3.3 Schur-Weyl双対性
  3.4 Frobeniusの指標公式

第4章 確率論からの準備
  4.1 確率空間と極限定理
  4.2 測度のモーメント,キュムラント
  4.3 自由な確率変数
  4.4 Markov連鎖とMartin境界

第局

第5章 Youngグラフの経路空間上の測度
  5.1 Pascal三角形上の調和解析
  5.2 調和関数,中心的測度,正定値関数
  5.3 誘導表現とPlancherel測度

第6章 Young図形の表示と多項式関数
  6.1 Young図形を表す座標
  6.2 Kerov推移測度
  6.3 Kerov-Olshanski代数とKerov多項式
  6.4 既約指標の漸近公式

第7章 Young図形の極限形状
  7.1 連続図形と推移測度
  7.2 最長増加部分列と均衡条件
  7.3 極限形状Ωへの収束
  7.4 連続フックと極限形状

第III部

第8章 無限対称群の表現と指標
  8.1 正定値関数とユニタリ表現
  8.2 Choquetの定理とK(S∞)の元の積分表示
  8.3 無限対称群の正則表現とThomaによるS∞の指標の判定条件

第9章 無限対称群の指標の分類とYoungグラフ上の調和解析
  9.1 YoungグラフのMartin境界,積分表示,Thomaの公式
  9.2 エルゴード的測度に関する概収束定理
  9.3 Gelfand-Raikov表現の中心分解

第10章 いくつかの話題
  10.1 Young図形の統計集団
  10.2 分岐グラフ
  10.3 極限形状のゆらぎ

付録A 補充説明
  A.1 測度と位相
  A.2 測度のモーメント問題
  A.3 Hilbert空間上の有界線型作用素
  A.4 Weylの積分公式
  A.5 Markov連鎖
  A.6 離散マルチンゲール
  A.7 自由な確率変数の実現

文献

索引