テキスト理系の数学3 線形代数

海老原 円 著
A5判・並製・296頁・2600円+税

本書は理工系大学1,2年生向けの教科書.題材を基本的なものに限定した上で,一つ一つの話題に関する記述をできるだけ丁寧に解説して理解しやすいものを目指した。

まえがき

本書は線形代数学の教科書である.読者としては理工系の大学1,2 年生を 想定しているが,中学校程度の連立1 次方程式,高等学校程度の行列やベク トルの理論に触れたことがあり,平面図形,空間図形,複素数,シグマ記号, 数学的帰納法について最小限の知識があれば,本書を読むことができる.

理工系の大学生にとって,線形代数学は,微分積分学と並んで,大学で最初 に学ぶ数学の二本柱の一つである.多少の異同はあるものの,行列やベクトル の理論から始まって,行列式の理論を学び,行列の対角化や2 次形式の理論 に進むのが通例であろう.本書はそうしたカリキュラムに沿っている.

本書を執筆するにあたって留意したことは,(当然のことながら)理解しやす い教科書にするということである.それには,大きく分けて二通りの方向が考 えられる.一つは,なるべく記述を簡潔にし,少ないページ数に一定の内容を 収めて,短い時間で全体を俯瞰できるようにするという考え方である.もう一 つは,題材を基本的なものに限定した上で,一つ一つの話題に関する記述をで きるだけ丁寧にするという考え方である.二つの相反する考え方は,それぞれ に一長一短があるが,本書では後者を採用した.

適度な省略がなされた叙述には,その種の省略を自力で補う経験を積んだ読 者にとっては心地よいリズムがある.しかし,そのような簡略な叙述は,経験 に乏しい読者を消化不良に陥らせる危険を伴う.読者が省略に気づかずに読み とばしてしまうことすらある.それゆえ,本書ではできるかぎり丁寧な. 場 合によってはくどいとも思われる説明を心がけた.

その一方で,扱う題材をしぼり込み,標準的な内容のみを取り上げた.ま た,演習問題も最小限にとどめた.演習問題を解くことは数学を理解する上で 欠かせないが,著者の力量不足のため,叙述の丁寧さと演習問題の豊富さとを 両立させることはできなかった.そこで本書では,本文の理解に直接つながる 基本的な問題のみを取り上げることによって,本文の内容と演習問題とが有機 的な連関を保つようにした.また,問題を解くタイミングと流れを重視して, 問題とその答えはその都度本文の中に書いた.章末問題もつけなかった.読者 は,本書の中に書かれた問題に,それが出てきた時点で取り組んでいただきた い.問題が解けない場合は,必ず本文の内容を再確認していただきたい.

ところで,我々はどのように数学を理解するのであろうか.ある命題なり定 理なりを理解するためには,まず,その主張内容を把握しなければならない. そのためには,用いられている概念の定義を知っておく必要がある.次に,命 題や定理の証明を読むことによって,それが正しいことを確認する.しかし, それでもまだ「理解した」と感じられないことがある.そういうときは,具体 的な実例にあたってみるのがよい.

理論と実例は,数学を理解する上で,車の両輪のようなものであって,どち らも欠かせない.読者は,本書に書かれている事柄に対して,一つ一つ実例に あたってみることが望ましい.本書ではそのような理解のプロセスに配慮し, 命題や定理の証明方法も,実例による検証作業に耐えるものを意識的に採用し た.すなわち,構成的な証明. その証明を具体的実例にそのまま適用でき, 仕組みが実感できるような証明方法. をできる限り選んだ.たとえば,第5 章の定理5.1 については,ほかにも理論的に興味深い証明方法があるが,読者 が理論と実例とを往復しつつ理解を深めてゆくことが可能であるという理由か ら,本書の証明方法を選んだ.

本書では標準的な題材のみを取り上げたと述べたが,それが必ずしも初学者 にとって易しいとは限らない.ところどころ難解に感じられる部分もあると思 われる.しかし,それが基本的かつ重要であるならば,相応のページ数を費や して解説したつもりであるので,そのような部分については,読者が粘り強く じっくりと読んで理解してくださることを期待する.

2009 年夏
海老原 円

目次
第 1 章 ベクトルと行列

1.1 線形代数とは何か
1.1.1 行列はベクトルに作用する
1.1.2 連立 1 次方程式と行列・ベクトル

1.2 ベクトルとその性質
1.2.1 ベクトルの定義
1.2.2 ベクトルの和とスカラー倍
1.2.3 線形結合と単位ベクトル

1.3 行列とその性質
1.3.1 行列の定義
1.3.2 行列のベクトルへの作用
1.3.3 行列の加法とスカラー倍
1.3.4 行列の乗法
1.3.5 行列の演算の基本的な性質
1.3.6 単位行列
1.3.7 共役行列
1.3.8 転置行列
1.4 行列の区分け
1.4.1 列ベクトルによる行列の表示
1.4.2 行列の区分け
1.5 正方行列と正則行列
1.5.1 正方行列と正則行列
1.5.2 正方行列のべき乗など
1.5.3 対角行列
1.6 行列の基本変形と階数
1.6.1 消去法と行列の変形
1.6.2 基本行列と基本変形
1.6.3 掃き出し法
1.6.4 正則行列再論
1.6.5 標準形と階数
1.6.6 基本変形と正則行列
1.6.7 逆行列の計算
1.7 連立 1 次方程式
1.7.1 消去法と行列の変形再論
1.7.2 連立 1 次方程式を簡単にする
1.7.3 連立 1 次方程式を解く
1.7.4 基本変形についての補足(その1)
1.8 幾何学的理論へのアプローチ
1.8.1 斉次連立 1 次方程式
1.8.2 線形部分空間
1.8.3 「次元」の定義に向けて
1.8.4 行列と線形写像
1.9 ベクトルの内積
1.9.1 内積の定義と性質
1.9.2 シュヴァルツの不等式と三角不等式
1.10 ベクトルの内積と行列
1.10.1 随伴行列
1.10.2 内積と正方行列


第 2 章 行列式

2.1 行列式の定義に向けて
2.1.1 行列式の感覚的な理解(その1)
2.1.2 行列式の感覚的な理解(その2)
2.1.3 写像の合成と単射・全射
2.1.4 置換の定義と積
2.1.5 互換
2.1.6 置換の符号
2.2 行列式の基本性質と代数的理論
2.2.1 行列式の定義と基本性質
2.2.2 行列式の展開と余因子行列
2.2.3 クラメールの公式
2.2.4 積に関する性質
2.2.5 小行列式と階数



第 3 章 線形空間

3.1 線形空間と線形写像
3.1.1 抽象と捨象
3.1.2 線形空間の定義と例
3.1.3 線形写像
3.2 基底と次元
3.2.1 基底と座標写像
3.2.2 基底の存在
3.2.3 次元の定義
3.2.4 基底の変換行列
3.3 線形部分空間
3.3.1 線形部分空間の定義と例
3.3.2 線形部分空間とその次元
3.3.3 線形部分空間の共通部分と和空間
3.3.4 直和分解
3.4 線形写像再論. 基底と次元の観点から
3.4.1 像と逆像
3.4.2 線形写像の核と像
3.4.3 表現行列
3.4.4 基底を取りかえると表現行列はどう変わるか
3.4.5 簡単な表現行列をみつける. 行列の階数再論
3.4.6 基本変形についての補足(その2)
3.5 計量線形空間
3.5.1 計量線形空間と計量同型写像
3.5.2 正規直交基底
3.5.3 正規直交基底は存在する. グラム・シュミットの直交化法
3.5.4 直交補空間



第 4 章 線形変換の表現行列

4.1 線形変換の表現行列. 固有値と固有ベクトル
4.1.1 テーマの提示
4.1.2 対角行列による表現ができる場合. 行列の対角化
4.1.3 固有値と固有ベクトルを求める. 特性多項式
4.1.4 対角化できるための条件
4.1.5 応用と練習問題
4.2 計量線形空間の線形変換の表現行列
4.2.1 テーマの提示
4.2.2 実例の考察から
4.2.3 線形写像の随伴写像
4.2.4 正規変換と正規行列
4.2.5 正規行列はユニタリ行列によって対角化される. K= C の場合
4.2.6 実対称行列は直交行列によって対角化される. K= R の場合
4.3 2 次形式
4.3.1 2 次形式と対称行列
4.3.2 変数変換と標準形
4.3.3 標準形は一意的である. シルヴェスタの慣性法則
4.3.4 正定値 2 次形式



第 5 章 ジョルダン標準形

5.1 ジョルダン標準形
5.1.1 定理を述べる
5.1.2 観察する
5.1.3 観察の一般化と読者への挑戦
5.1.4 定理を証明する
5.1.5 定理の証明を振り返る
5.2 ジョルダン標準形の応用
5.2.1 ハミルトン・ケーリーの定理
5.2.2 行列のべき乗など